室戸岬、「みくろど窟」内より眺める太平洋

  四国明星の旅



明星の旅1 「前置き」


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【第1回】   狂短歌


☆ いつになく 強くきらめく明星に 自分の問いを重ねてみる



四国明星の旅 前置き


 前 置 き [画像3枚]

 四国まで明けの明星を見に行こう。――そう考え始めたのは今年(2004年)の6月半ば頃だった。

 4年前私は高校教員を退職して執筆活動に入った。その初年度に書き上げた教育的評論は友人達に不評で、出版をあきらめた。なにしろ原稿用紙1000枚の大作だった(^_^;)から、売れないとみた友人の判断は正しかったと思う。
 その後普通の小説を、と思ってSF小説の構想・執筆に取り組んだ。だが、これが意外に手間取り、昨年半ば頃ようやく完成した。
 作品は近未来を舞台に中等学校生ケンジと、未来タイムトラベラー、マーヤとの交流を描いたSF小説である。人はいかにして心を成長させるのか、その軌跡を描こうと思った。これも1000枚を超える長編だった(^_^;)ため、まず前半部だけを出版することにした。そして、今年2月その前半を『『ケンジとマーヤのフラクタル時空』』と題して出版した。
 残念ながら売れ行きはかんばしくなかった。しかし、人生は前へ進むしかないと考えているので、来年後半部分を「完結編」として出版するつもりでいる。

 その後私は次作として空海を書きたいと思った。なぜSFから、あの弘法大師空海へと飛んだのか。その説明はここではおいておく。とりあえず私は昨年末から空海関連の書物を読み始めた。その中では司馬遼太郎の『空海の風景』に最も感動した。空海の人となり、また真言密教の詳細などがわかりやすく、また面白く描かれていた。司馬氏は空海の書物を考察し、実地に四国各地を歩き回る。それはまるでタイムマシーンに乗っているかのように、現代と空海の時代を往復する。その描き方は素晴らしいと思った。

☆ 室戸岬
室戸岬

 私は空海が二十歳前後に体験した四国室戸岬での神秘体験にとても興味を持った。
 空海は一度は官僚養成の大学へ入りながら、すぐに出奔して山岳修行に乗り出す。そして、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)の修行を経ていよいよ仏教界へ入ることを決意する。
 求聞持法(ぐもんじほう)の修行とは、知恵の宝庫、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の真言を100万回となえるものである。真言は梵語(ぼんご)で「のうぼう、あきゃしゃ、きゃらまや、おんありきゃ、まりぼりそわか」である。これを一日1万回から2万回、合計100万回となえるのである。
 若き空海が四国室戸岬の双子洞窟でその真言百万遍修行を行っているとき、明けの明星がぐんぐん大きくなって彼の口に飛び込んでくるような神秘体験を得た。空海はそのことを24歳のとき書き上げた『三教指帰(さんごうしいき)』序文で「明星来影ス」と記している。

 この神秘体験が空海何歳の時だったか明らかではない。しかし、少なくとも空海15歳の788年から、31歳で入唐(にっとう)する804年までの間の体験であったことは間違いない(ちなみに2004年は空海入唐1200年記念の年である)。
 宗教家の神秘体験だから、その真偽や実際のところどうだったのか、わかるはずもない。空海自身も詳しく説明していない。
 しかし、私には空海の体験が独りよがりの神秘体験ではなく、なんらかの自然現象と重なっていたのではないか、との直感が働いた。もちろん、このような疑問に対して過去の研究者の答えがあるはずもなく、私はただだらだらと資料を読みあさっていた。

 そんな疑問にとらわれていた5月始めのことだ。私は東京競馬場に出かけ、ボロ負けして午後7時ころ帰宅した。そのとき西の空に、とても明るい星が一つぽっかりと浮かんでいるのを発見した。
 私はすぐ宵の明星だろうと思った。しかし、恥ずかしながら宵の明星も明けの明星も、東南の空に輝くものだとばかり思っていた。だから、妙だなあ、あの星はなんだァと思った。その後調べてみたところ、やはり明星だった(^_^;)。
 明けの明星は夜明け前東南の空に輝き、宵の明星は宵のくち西の空に輝く――のであった。明星とはもちろん金星のことである。

 あれほど明るい明星を見たのは初めてのような気がした。珍しかったので、何かあるかも知れないと思ってホームページを検索してみた。すると今年2004年は金星関係で驚くべき現象が起こることを知った。
 それが6月8日、日本では122年ぶりに生起する金星日面通過現象だった。地球、金星、太陽が一直線に並び、太陽面の中を金星が移動していく。この日面通過が起こる年は明星が例年になく明るく輝くらしい。
 2004年現在、このような百数十年ぶりの天文現象と遭遇(そうぐう)するとは、なんと面白い偶然だろうと(^.^)私は思った。そして、荒唐無稽(こうとうむけい)な空想ながら、もしかしたら空海二十代のころに、今年同様金星の日面通過現象が起こり、明星が例年になく明るく輝いていたのではないか……などと想像をたくましくしたのである(^_^)。

☆ 舎心(しゃしん)山、太龍(たいりゅう)寺
舎心山、太龍寺

 6月8日当日は朝から曇りだった。その日近くのプラネタリウムで金星観測会が開かれると聞き、私は出かけた。会場には見学者数十人が集まっていた。時折晴れ間はあったものの、残念ながら金星の日面通過は観測できなかった。
 しかし、そのとき係りの人から金星について詳しく聞くことができた。
 それによると、宵の明星は1月1日に南西の空低く見え始め、山なりに上昇して4月1日に西の中天最も高くなる。その後北に向かって下降し始め、5月1日に最も明るく輝き、6月に入ると北西の空まで低下する。逆に明けの明星は6月8日の日面通過後、9日から北東の空低く出始め、やはり山なりに上昇して9月1日に最も高くなり、やがて東南の空低く下降する。この期間中、明けの明星が最も光り輝くのは7月15日であるという。
 私は思わずペンを借りてこの図と最大光度の日をメモした(^o^)。

 そのころ私は今年後半に、四国室戸岬で明けの明星を見るための小旅行を計画していた。しかし、7月15日に明けの明星が最も光り輝くなら、旅行の予定は変更した方がいいと思い始めた。
 同時に金星の日面通過現象が122年ごとに起こるなら、その生起年を過去にさかのぼれるはずだと考えた。そして、どうにかして日面通過の年代を知ることができないだろうかと思った。
 あるホームページでは、1600年頃までさかのぼってその生起年を記述していた。だが、私が知りたいのは空海が生きた800年前後にその現象が起こったかどうかである。
 さらにいろいろなホームページを探っているうち、私はとうとう金星日面通過の生起年一覧表を手に入れることができた。それは「金星日面通過の年月日一覧表」なるページで、紀元前10世紀から未来40世紀まで、金星日面通過の生起年月日が全て掲載されていた。

☆ 室戸岬双子洞窟
室戸岬双子洞窟

 私はわくわくしながら、過去の生起年を確認していった。すると空海が生まれてから死ぬまでの間、その天文現象が起こっていたことをつきとめた(^O^)。
 最初が789年5月28日、そして次が8年後の797年5月26日だった。
 空海年表によれば、789年とは空海15歳の時である。彼がおじ、阿刀の大足(あとのおおたり)とともに、奈良、長岡京に出て勉学を始めたころである。そして、その8年後とは空海23歳の時である。私の勘はぴたりとはまっていた。
 空海は少年期、青年期の二度、明星の日面通過を体験していたのである。私はもう大感激で、競馬は当たらないが、予想大的中だと思った(^O^)。
 しかも、空海23歳の12月には「聾瞽指帰(ろうこしいき)」――後に改題して「三教指揮(さんごうしいき)」――を書き上げている。
 もちろん空海が金星日面通過現象のことを知り、彼がその科学的現象を実見したとはとても思えない。それは重要なことではない。空海はただ金星がいつになく明るく輝いていた――それを感じ取っていたはずで、そのことにこそ意味がある。空海の室戸岬明星神秘体験とは23歳のことだったのではないか。私はこの推理にかなり自信をもち始めた。
 そして、いよいよこれは四国へ行くべきだと思った。空海が真言百万遍修行を行った室戸岬の洞窟や徳島の太龍嶽(たいりゅうがだけ)。そこに行き、その地で明けの明星を見たいと思った。(続)


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